母親の逝去による製作遅れの報告

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介護生活の日々

投稿しようか少し迷いましたが、今後の製作スケジュールにも影響しそうなので、そのような意味合いも含めて、概要だけ報告しておこうかと思います。

今年の初めに心臓の病気で母親は一時入院をしていましたが、4月に退院して順調に回復しているように思えました。退院後は介護申請も降りて、週に2度の入浴補助、週に2度のリハビリと、介護サービスを受けながらの生活でした。

退院後は無理な運動は控えるようにとの事でしたので、炊事・洗濯・掃除・買い物など今まで母親に頼っていたことを、入院時から引き続き全てこちらで行うことになりました。家事は余り慣れていないので初めは大変でしたが、数ヶ月も行えば何とかなります。

それにプラスして、通院も行う必要がありますので、病院の送り迎えなども行っていました。介護離職など、社会問題になっている部分もありますが、退院後の生活は、まさに似たような状況になりました。

私の場合は母親の入院前に離職して、自身で事業展開をと考えていたところでしたので、介護離職とは異なりますが、家のことで仕事の方に時間を割く時間が余り取れない状況にはなりました。それでも、上手く時間を見付けて両立出来るように工夫しながら、何とか頑張って来ました。

尚、施設への入所なども考えましたが、母親が自宅での生活を望んでいた為、とりあえず出来るところまではやってみようと、決心していた部分もあります。

退院後は仕事も手に着かず大変な状況ではありましたが、母親も自宅での生活に慣れ始め、やることがルーティン化することも出来て、これなら仕事にも復帰できると思っていた矢先のことでした。

母親の逝去

5月の終わり頃、夕食の時までは元気にしていた母親でしたが、寝る時間帯にベルが鳴り、急に呼び出されることに。実は退院に合わせて、声を出せなくても呼べるように、ナースコールのようなモノを購入して自宅に設置していました。とは言っても今までは訪問者が来た時や、重いモノの運んで欲しいなど、何かして欲しいことがあれば呼ぶ程度の使い方しかしていませんでした。

急いで向かうと、息苦しく呼吸ができないとの訴えをしてきました。緊急性が高いと判断し救急車を呼ぶことに。その後は再度、緊急入院することになりました。翌日は喋れる状態まで回復し「忙しいだろうから、もう帰って良い」と言われるぐらいでした。ですが担当の医師の話だと、手術をした方が良いとのことで、数日後に日程を組み母親に伝えて帰宅することに。

その日の深夜に病院から呼び出しの電話が鳴りました。心肺停止状態なのですぐに来て欲しいと。急いで向かいましたが、既に手の施しようの無い状態になっていました。余りにも急な展開なのと、寝不足気味で疲れもあったのか、その時は感情が上手く出せず、冷静に淡々と、その後の手続きを行っていたかと思います。

とにかく、その後は忙しかったですね。その日のうちに告別式などの日取りを調整したり、やることが山ほどありました。一時は悲しむこともなく進めている自分に対して、なんて冷酷なのだろうかと思いましたが、ふと葬式のお知らせを準備している時に、色んな感情が溢れ出し、涙が止まらなくなりました。そこでキチンと人としての感情があったのだと、安心したのを今も覚えています。

母親の「ベルがあって良かった」と言う感謝の言葉と、「また来るからね」と母親に伝えたのが、最後に交わした言葉だったなと思い出しながら、当日は作業を行っていました。

現在の状況と今後

火葬後も様々な手続きが待っています。市役所に行って保険証などの手続きや、病院などの請求書を払いに行ったり、携帯電話の解約をしに行ったりなど、家事の合間に毎日やることだらけです。

これから行うのは埋葬の手続きと、銀行の相続手続き、遺品整理など。今月には片付くかと思いますが、忙しい日々が続いています。

ですが、6月の後半には仕事にも復帰できるかなと、ある程度の目処もついている状況です。当初のスケジュールより大幅な遅れが出ていることは否めませんが、何とか前を向いて生活を立て直していきたいと思っています。

まだ製作に関しては、何も発信できていない状況なので、観られている方にとっては、殆ど影響は無いことかと思いますが、もし似たような状況の方がいらしたら、辛い毎日かもしれませんが、自分自身の人生もしっかり見つめて、前を向いて歩き続けることが何より大切なのかなと思います。

忘れるのではなく、想いを紡いで行くと言う考え方で、乗り越えて行けたら良いなと感じています。私事の記事で大変に恐縮ですが、これからしっかりスタートを切って参りたいと思いますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。

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